10歳で出会って以来、サッカーへの熱は冷める時を知らず。選手として、監督として、サッカーへ傾注した熱意は、ライフワークのエネルギー資源開発問題へも向けられています。
一昨年、自分史『人生90分〜蹴って走って考える〜』を完成、発行されました。
髙﨑さん振り返っての人生90年間が、常に共にあったサッカーの正式試合時間90分とうまく重なったため、このタイトルにしました。前半戦は学生時代から社会人になり結婚まで、ハーフタイムは北海道での育児、後半戦は東京本社勤務、それから定年退職し90歳になるまでで構成しました。
サッカーを始めたきっかけは何ですか?
髙﨑さん小学校5・6年時の担任、佐藤先生との出会いです。サッカーの指導に熱心で、サッカー人生の始まりとなりました。旧制中学時代はサッカー部主将となり地方大会に出場。高校は遠く離れた静岡高校を選び、寮で生活しました。学生時代は第二次世界大戦と重なり、サッカーや他の球技は敵性スポーツとして禁止されるなど受難の中にありました。それでもインターハイ出場が叶い、サッカーに熱中しました。
サッカー以外では?
髙﨑さん大学時代は終戦を挟む時期で、空襲で自宅は全焼し、疎開先の箱根湯本からの通学時、戦争のため人影も少なくなった東京駅北口の改札口近くで玉音放送を聞きました。戦後の混乱が続く中でしたが、サッカー部員に誘われ、練習後は銀座教会で活動するコーラスグループ(宗研)に参加しました。サッカー選手はリズム感が優れているから歌もすぐ上達するとおだてられて。バリトンが担当パートでした。
そして、社会へ。
髙﨑さん親の勧めで高校から理系で、石油・鉱山を専攻した大学卒業後、石炭鉱業会社に就職しました。戦後すぐで、入社式などなくいきなり現場。北海道・大夕張や九州・軍艦島などの炭鉱で技師の実務をこなしながら、サッカー情報網も構築しました。40代半ばに実業団の監督に就任。10年務めた監督時代、旧制高校蹴球部OBがインターハイ復活をめざし、会を結成しました。それがSOI(サッカー・OB・インターハイ)。30数校が対戦する親善試合は過去の雪辱を遂げる機会ともなり、大いに盛り上がりました。海外遠征も行い、本場欧州をはじめ豪州・カナダなどのフィールドを駆け巡りました。
エネルギー資源開発にも従事されました。
髙﨑さん石油などの新資源に対するため、緊縮合理化の技術開発に取り組んできました。定年退職後はエネルギー関連の専門家を集め、新会社トムカノンを設立。定期的に発行した専門書『エネルギスト』では、地球温暖化問題を特に強調しました。原子力発電の活用が、問題解消の道になると私は考えています。与えられたアディショナルタイムで、貢献できることはないか模索する日々です。