出典/「崖線の緑を保全するためのガイドライン」
東京都都市整備局(2012年3月発行)
悠久の時を経て、多摩川が武蔵野台地を削り取り、急斜面の崖をつくりだしました。この崖の連なりは国分寺崖線と呼ばれ、立川市から調布市などを経て、世田谷区、大田区へと延長約30㎞にわたっています。崖線周辺の樹林や湧水などの自然のオアシスには、都会では珍しい様々な動植物が共存しており、中には絶滅危惧種もみられます。東京都では崖線の緑を保全するため、景観形成重点地区を指定し、自然を守る一方で景観に融和するよう建築物への規制も設けました。
そうした取り組みよりも早く、成城学園の周辺では緑と景観の保全計画が実践されました。成城学園は関東大震災を機に、東京市牛込区(現:新宿区)から現所在地へ移ってきました。1924(大正13)年に4万4千坪の土地を購入し、学校建設資金調達のため、2万坪の宅地開発を始めました。当時の契約書で、「住宅地ノ外囲ニ就テ板塀ヤ煉瓦塀ハ風致を害シマスカラ」と、大谷石や生垣を推奨。洋風の家には3本のヒマラヤ杉、和風の家には3本の松を植えるという住環境に配慮した取り決めもありました。
文化人が多く住む学園都市として有名になった成城に対し、仙川は音楽家や芸術家が第二の故郷として居を求める街として発展。大きな劇場と美術館、歴史ある桐朋学園が街に活気を添えます。国内最大級の木造建築といわれる桐朋学園の校舎では、学生によるコンサートを定期開催し、街へ音楽を届けています。
この2つの文化的な街の間に、国分寺崖線を見晴らす入間の地があります。「文教・福祉関連施設ゾーン」と位置付けられ、学校や保育園も同時にオープン予定です。「ウエリスオリーブ成城学園前」もこの〝新しい街〟の一角として、多世代交流を育む一翼を担うのでしょう。
自然を次世代につなぐ
「水のあるところに住みたい」と武者小路実篤が晩年を過ごした邸宅跡地で、園内には湧水もあります。
※掲載の情報は、2019年3月現在のものです。