vol.24

自分史

金子 憲太郎さん「ご縁を大事にし今につながる人生」

好きが高じて、プロ級に磨いたあらゆる技能を人のために発揮し、人と人、そして日本と世界をつないできました。貢献の精神が、よいご縁を次々と呼び寄せています。

多趣味でいらっしゃるとうかがいました。

金子さんゴルフは70代で卒業しましたが、カメラと車は今も好きで、一眼レフカメラをミラーレスデジタルに一新しました。車も電気自動車に乗り換えたばかりです。

お若い頃からですか?

金子さん僕らの時代、ゴルフは基本のようなもので。学生時代は陸上、最初の会社では野球部でピッチャーを任されていました。初めて手に入れた車は中古のルノー。当時、日野自動車が生産していたんですよ。今も続く『世界らん展』へ花の撮影に行き、協賛企業が展示していた輸入車に出会ってからはずっと同じメーカーです。

転職経験が?

金子さん一社目は電化製品の卸会社でした。東京五輪で景気が浮揚する中、2トントラックで都内を駆けたものです。今でいうルートセールスですね。知人の推薦で特殊法人国際協力事業団(現:独立行政法人国際協力機構)に40代で転職。JICA(ジャイカ)の略称が一般に知られているかもしれませんね。

どのようなお仕事を?

金子さん総務部でしたので、業務内容は多岐にわたりました。大きく言うと世界中から集まる研修員のお世話。建築、科学、医療などを専門とする研修員を各省庁で募るんです。専門知識や経験も人それぞれで、滞在期間は短くて4カ月、長くて1年間。歓送迎会や誕生日会の企画もしましたし、週末に観光案内もしたりしました。大勢なら25人乗りの社用マイクロバスで、少人数ならレンタカーを借りてあちこちと。おかげで富士山には4回登りました。

大型車の運転経験が役立ちましたね。

金子さん経験といえば、カメラの腕も見込まれて新しく建設された東京国際研修センターのパンフレット制作時に、写真撮影も頼まれました。何でも経験で、上司から勉強して来いと現地視察で渡航したこともあります。

海外はどちらへ?

金子さんODAの現地視察で2度ほど、技術者に同道しカイロとヨルダンへ。定年退職後には、キプロス共和国に帰国した元研修員から連絡をもらい、彼の実家へ何度か遊びに行ったこともあります。

よいご縁に恵まれましたね。

金子さん妻に先立たれ一人になり、近居を勧める兄が資料をせっせと集め、居をこちらに決めたわけですが、車の運転が好きな私にはよい環境だと実感しています。
ご入居の方々も朗らかで、建物内のレストランで一緒に食事しようとよく誘われます。健康に気遣い自室で筋トレも行っています。これからも元気に楽しく過ごしたいですね。

JICAの東京国際研修センターで誕生日を迎えた研修生と一緒に。歓送迎会など各種パーティーの企画・運営も担当しました。
車中泊して撮影に成功した「山中湖より富士山を望む(逆さ富士)」。花や人物の写真もお手のものです。