vol.12

自分史

本坊安弘さん「職場野球の発展に情熱を注ぐ」

鹿児島県鹿児島市で生を受け、大好きな野球のために全国各地で大活躍。全日本軟式野球連盟鹿児島県支部の副理事長等を務め、軟式野球の発展に尽くされました。

先祖代々の地が鹿児島なのですか?

本坊さんそうですね。私は鹿児島市で生まれ育ちましたが、父親は加世田市(現:南さつま市)出身です。その地域には本坊姓がとても多く、マルスウイスキーやマルスワインを製造する本坊酒造も同地から始まりました。九州でバス交通などを本格的に整備した人物にも本坊姓がいます。

地元の名士ですね!

本坊さん私自身は金融機関勤めでした。支店長の次には本店の営業部長として、日夜、鹿児島県内を駆け回りましたね。それから、実は野球が大好きで。職場での野球部創設にも尽力しました。

野球のご経験が?

本坊さん高校生の時に仲間と夢中になって野球をしたものです。戦後すぐの何もない時代で、グローブもバットも手作りですよ! 布製のグローブではよく突き指をしたし、山の木を切り出してカンナで削って作ったバットはよく折れました。学校の校庭でやっていたものだから、教室や近くの家屋の窓ガラスを割って、怒られたこともあります。

経験されたのは硬式ですか? 軟式ですか?

本坊さん高校では硬式でした。廃棄処分寸前の物を太い針と糸で繕ったボールはちょっと歪んでいてね。職場の野球部では、創設当時は準硬式でした。芯は硬式と同じ、表面は軟式のように天然ゴムで覆ったボールを使うのが準硬式です。途中から軟式へ移行したのですが、ボールの弾み方が違うし、打つにも芯のとらえ方が異なるので、慣れるまでは本当に大変でした。ポジションは高校からずっと捕手で、若手に守備を譲ってからは、監督としてチームを天皇杯や国体へ導きました。

なんと輝かしい野球人生なのでしょう。

本坊さん全国的な大会の常連強豪チームで、北海道から沖縄まで各地を遠征しました。どこを訪れても歓待を受けましたね。定年退職後は、新設子会社の社長を務めることになりましたが、自分の時間ができてからは、ペン習字、毛筆、硬筆を習い始めました。「毛筆の師範になるには10年かかる」は本当でした。

1999年、財団法人全日本軟式野球連盟から功労賞を贈られた際の表彰状。名誉総裁は故高円宮憲仁親王。2006年にも同賞を再度受賞。
定年退職後に始めた書道の認定証。2002年に硬筆の師範、2009年には毛筆でも師範資格を取得しました。

師範格となってからも続けているのですか?

本坊さん毛筆の同好会仲間に残念がられましたが、2年ほど前にやめてしまいました。娘2人に呼び寄せられ、昨年の11月に鹿児島から津田沼へ越して来てからは、健康維持のために散歩を始めました。一人のときもあれば、夫婦二人のときも。もともと地理が好きで、どこに何があるか地図を見ながら覚えることが、今とても楽しいです。
本坊さんの作品。書道はお手本通りに書く練習もしますが、個性を出して自分の字で表現します。