vol.2

自分史

柴田健司さん「私のふるさと、静岡県浜松市」

1930年5月、静岡県浜松市の比較的高台にある高町で生まれた柴田健司さん。 歳で銀行に入行後は3、4年おきに転勤を繰り返し、静岡、東京、名古屋住まいを経験。思い出深い「浜松まつり」のお話から、趣味について、仕事柄避けられなかった数知れない引っ越しにまつわるエピソード、家族との思い出など、たくさんの話題に花が咲きました。

浜松といえば、「浜松まつり」が有名ですね。

江戸の頃より繁栄を続ける「浜松まつり」は、日中の勇壮な凧揚げ合戦と夜の御殿屋台引き回しが見どころ。毎年ゴールデンウィーク中に開催。(写真提供/浜松観光コンベンションビューロー)

柴田さん開催前から町内はお祭り気分で、皆そわそわしたものです。小さい頃は、糸が切られた凧を追って走り回りました。6畳もある大きな凧なので、友達と一緒に抱え上げてね。今は会期が3日間ですが、私が子供の頃は5日間でした。遠州灘から吹く強い風「遠州のからっ風」は凧揚げにもってこい。江戸時代から続き、終戦わずか3年後に復活を遂げたほど、浜松市民には大事な祭りなんです。

和美さん凧の糸切り合戦が有名ですが、初子の誕生を祝い、凧を揚げて、子供の健やかな成長を町内の皆で願う場でもあります。平成の大合併で浜松市が広くなり、参加町会も増えて熱気はすごいですね。

柴田家も初子のお祝いを?

柴田さん銀行マンはなかなか忙しく、家族揃って祭りで祝うことはできなかったですね。長女が生まれてすぐに名古屋へ転勤でしたし。40代で事務長、50歳になる前には支店長と、今のように土日休みではありませんでしたから、本当に仕事一筋で。

和美さん滅多に家にいませんでした。いる時には厳格な父に怒られないよう、子供ながらに二人の弟と気を使ったものです(笑)。

写るのは柴田さんと4歳下の奥様、ご長女(和美さん)とご長男。(1962年に撮影)

金融業界で転勤は避けられません。単身赴任をされたのですか?

柴田さん当時は家族帯同が絶対条件でした。辞令が出ると翌週には新任地ですから、3日間で顧客に挨拶をし、残りの3日で新任地の引き継ぎで挨拶回り。年明けも上司宅へ挨拶回り。大晦日も銀行は通常営業ですから、紅白歌合戦を観た記憶はありません。近所の寺社でなんとか家族揃って、除夜の鐘を聞きました。

仕事でも楽しい思い出はありますか?

柴田さんあの頃は年に2回泊まりの社員旅行があったんです。20代の頃から習っていたマジックを宴席で披露しましたね。名古屋では開設した支店のお披露目でやりました。小学校のお楽しみ会などでできるようにと子供らに請われて簡単な手品を教えたことも。実は50代の頃に先生のアシスタントとしてマジックショーに出たこともあるんです。

プロのマジシャンの指導を受けていたという柴田さん。名古屋ではマジックショーのステージにも立ちました。

随分と本格的な趣味ですね!

柴田さんあとは日曜大工ですね。子供らが大学で上京していたので、これも50代の頃。庭にかなり大きな物置を作りました。庭の手入れも好きです。剪定バサミ、和バサミ、ノコギリの腰道具を揃えました。定年退職後に庭師に関する資格も取って。掛川市に今もある自宅の庭木は、脚立に登って自分で剪定していました。

すごいですね。ほかにお好きな事はありますか?

柴田さん歌謡曲を聞くのが好きですね。自室ではCDをよく聞いています。中島みゆき、BORO、杉田二郎、色々です。文化センターでコンサートがあると聞けば行くこともありますよ。

とても活動的ですね。

柴田さん3年前までは庭木の剪定をできていたものの、突然病に罹ってしまったんです。妻を亡くし、痛む体で一人暮らしはとても不便で。こうして娘家族の近くへ越して来たわけです。今は車椅子ですが、手摺りを使って歩行訓練をしています。ここはスタッフが皆親切で、そして自由に過ごさせてくれるんです。

和美さん自由人の父にはぴったりの住まいですね。

「ウェリスオリーブ新小岩」では、隅田川花火大会鑑賞会を毎年開催。椅子を並べた屋上の特設会場では飲み物とおつまみを、1階・食堂(ラウンジ)ではさらにフルーツ盛りなどもご用意。ご親族の方もご参加いただけるので、お子さん、お孫さんたちの再会の場になることも。柴田さんも和美さんと参加されました。