vol.8

自分史

内田 進之助さん「終の住処と決めた鵠沼で人生を回想」

今夏の出版を目標に「自分史」を執筆中の内田進之助さん。一足早く、「オリーブ便り」誌面で、大きな帆を立てて切り開かれた、人生の航路の軌跡を辿りました。

「自分史」執筆にきっかけはありましたか?

内田さん 元同僚が「自分史」を出版したことでしょうか。文学の道に進みたかったくらい小説や詩が好きで、若い頃から随筆を書いています。かつては原稿用紙に、今はパソコンで。一日に30分から1時間程度、パソコンに向かっています。

「〈鎌倉〉意外誌」「海の不思議」など、随筆のテーマは幅広いですね。

内田さん もともと好奇心の塊で、興味を抱くと徹底して知りたくなる質なのです。特に地理と歴史には強い関心があります。私は神戸に生まれ、海と船に親しんで育ちました。港を見下ろす我が家の二階で夜半にふと目覚めたとき、貨物船の荷役をするクレーンの音、貨物列車や曳船の汽笛などを聞いて、港の光景に想いを馳せたものです。須磨の浦で海水浴しているときには、沖を行き来する船の姿に、いつか海の向こうで仕事をしたいと希いました。

願いは叶い、海運の世界へ入られました。

内田さん 朝鮮戦争の休戦が大学卒業の年で、当時は急速に経済が悪化しており、就職活動は苦難の連続でした。最初から海運業界に入れたわけではなく、就職先の倒産も経験し、海運業でも船主会社に入社したのが26歳のとき。食料品・船用品の購買、乗組員給与や経理事務、港湾管理者に提出する英文書類の作成などを職務とし、5カ月から長くて1年半を海上で勤務しました。

海と陸、離れ離れの新婚生活だったのですね。

内田さん 結婚して4カ月後には出港でした。寄港地では手紙でやり取りできましたからね。妻から手紙が届いていると嬉しくて。長女の誕生は電報で知りました。その後、東京勤務となり、迷わず移り住んだ鵠沼の地で長男が誕生しました。中学2年のとき、当時住んでいた東京から鎌倉へ、弟を連れて遊びに行ったことがあるんです。江ノ電の車窓から見た松林のある風景に魅了され、いつかこの辺りに住みたいと思ったのです。

ようやく陸上生活が。

内田さん 陸に揚がっても国内外問わず出張が多く、家のことは全て妻に任せきり。定年退職後にやっと時間ができ、妻をエスコートする旅を楽しみました。長く患っていた妻は、篠原湘南クリニックグループの有料老人ホームで一時期お世話になりましたが、寄り添い生きていこうと二人でこちらへ転居しました。たまたま提携医療機関が同クリニックで、理事長ファンだった妻はとても喜んでね。「自分史」には、昨年他界した妻のことも書き綴りたいです。

ご家族のアルバム

趣味が深化し、書の師範となられた寛子さん(2009年撮影)。右上の書は、内田さんの部屋に飾られている「愛」の一字。