vol.5

自分史

平瀬 薫さん「私と絵」

生まれ育ったのは横浜市。物心ついた時には絵を描いていたという平瀬さん。持ち前の探究心とたゆまぬ努力で、上野の森美術館からの賞を含め、数々の賞を受賞されています。

「千葉県美術家名鑑」にお名前と作品が掲載されていますね!

平瀬さん美術家のつもりはないのですが、絵に関するものは大抵試しました。友禅の絵付け、鳥獣戯画の複製と巻紙を取り寄せて模写もしましたね。小さい頃から絵を描くのが好きで、小学生のときはよく友達に絵をせがまれましたよ。家の側にいかにもタヌキが出そうな山があって、こんなタヌキかな?と想像しながら描いたのが、このぽん太くんの始まりです。

眞紀さん(ご長女)この4コマ漫画のねこきちくんとぴょん子ちゃんも我が家では定番で、私と弟の布団カバーに刺繍されていました。料理はさておき創作好きで、洋服はたくさん作ってもらいましたね。

多趣味ですね。絵に関することで一番は何でしょう?

平瀬さん水墨画もやりましたが、やはり日本画が一番です。通ったカルチャースクールの先生と仲間が本当に良かった。習った梅津道雄先生は優しい人で、梅津先生の師匠の後藤純男先生にも時折ご指導いただきました。画風は違いましたが、お互いに切磋琢磨できる仲間と「3人展」を日本橋で開かせていただきました。

平瀬さんの画風は?

平瀬さん気に入って描いたモチーフは連なる屋根、工場。錆びた色で経年を感じられるような雰囲気を表現するのが得意でした。名前のせいもあってか、よく男性の絵と間違えられたものです。

ご主人とは趣味が同じで?

眞紀さん(ご長女)すでに他界した父は書と囲碁が趣味でしたが、よく母のスケッチ旅行に同伴していました。母がスケッチしている間、後で参考資料となるよう写真を撮っていたみたいです。

平瀬さん本当に優しくて寛容な人でしたね。私の描き上げた絵の講評を家族の皆がするのですが、子どもたちは厳しかった。主人もそこそこ厳しかったけれど、好きなことは全てさせてくれました。ここへ一緒に入居してわずか数カ月で亡くなってしまい、残念でした。

こちらでの暮らしは慣れましたか?

平瀬さんもう6年になりますか。駅前へ買い物に行ったり、電車で少し遠出したり、日々楽しんでいます。お誕生月のお花を描いたカードをプレゼントして喜ばれると私も嬉しいものです。ここでの仲間にも恵まれましたね。娘も息子も頻繁に来てくれるし、好きなことはできたし、幸せな人生だと思っています。

3人展にご出展された、武蔵野美術大学の公開講座で描いた日本画作品「ひまわり」の前でご長女の村上眞紀さんと。