vol.3

自分史

松岡俊介さん「私のふるさと、神奈川県横須賀市」

1936年6月、神奈川県横須賀市に生まれ、20代前半まで同地で過ごした松岡俊介さん。文系の大学へ進学した後に、理系の大学へ編入し、医学の道へ進みました。転機となったこと、学生時代の趣味やご家族のことなど、様々なお話を伺いました。

港町、横須賀。賑やかな街のイメージです。

松岡さん小さい頃はメンコやビー玉で遊んだくらいですし、中学では野球部、高校では柔道部とスポーツに打ち込んだので、港町の喧騒とは無縁でしたね。

大学でもスポーツを?

松岡さん大学では勉強を。さらに茶道やソーシャルダンスなどの趣味の時間も大事にしました。友人の母親が有楽流の先生だったので、武家の茶道を習いました。ソーシャルダンスは当時流行していましたからね。教室に半年ほど通いました。

踊りにはどちらへ?

松岡さん横須賀には米海軍基地があるため、アメリカ文化を受けてダンスホールもあちこちにあったんです。生バンドでジルバやマンボを踊りましたよ。やっと横須賀の街を満喫(笑)。その後は勉学一本です。私立大の経済学部に3年間在籍し、編入試験を経て国立大の医学部本科へ転籍したのですが、本当に忙しかった。研修医のときに結婚した妻のおかげで、集中して勉強も仕事もできました。

奥様とはどちらで出会われたのですか?

松岡さん医学部時代、友人らと新宿御苑へ遊びに行ったメンバーに彼女がいたんです。新宿御苑で出会って2年、東京五輪の年に結婚しました。安月給の中、家事に子育てに、上手に切り盛りしてくれ、安心して一切を任せていました。

東京のオアシス、新宿御苑。季節ごとに表情を変え、恋が育まれるステージに彩りを添えます。

文系から理系へ、しかも医学の道への転向は大変だったのでは。

松岡さんあの頃は大変と思うよりも勉強を続けたい気持ちが強くて。実は両親が横須賀で開業医をしていたんです。戦後に復員した兄が継ぐかと思いきや、勉強は任せたと私にお鉢が回ってきたのです。

卒業後は、すぐに病院を継がれたのですか?

松岡さん研修医として勤めた大学病院で気に入られ、そのまま入局しました。所属は父と同じ専門で泌尿器科。両親の病院を継ぐにしても修業は必要ですしね。大学病院に籍を置きながら、あちこちの提携病院で勉強をさせてもらいました。父が他界し、院長となった母から「孫と一緒に住みたい」ときましてね。私も医局長や医長の経験をしましたし、自信を持って戻ることにしました。母から院長を継いで私で3代目。80年あまりの歴史ある病院でしたが、最終的には私の代で閉じることにしました。

お子さんは別の道へ?

松岡さん長女は建築家、長男と次男は医者です。私の時代とは違いますから、好きなようにさせています。私は私でかつての文系脳がよみがえり、読書にふけるようになりました。第2の勉学期とでもいうのでしょうか。今このときを楽しんでいます。

「秋の大運動会」に参加された松岡さん。スプーンリレーを楽しまれました。

毎日が楽しそうですね。

松岡さん欲しい本を求めてよく津田沼駅へバスで出ています。ここの食事もおいしいですが、友人と外食することもありますよ。自室では音楽を聴きながら読書を楽しむことが多いですね。ソーシャルダンスをしていたせいか、ジャズは今でも聞きます。特にベニー・グッドマンがいい。映画なら「グレン・ミラー物語」が好きですね。ここでは、月に一度開催の映画鑑賞会など、ほかのご入居者との交流の場があるので、廊下などで会えば挨拶するようになりました。まだ入居して4カ月ほどですが、心地よく過ごせています。